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豊胸材がFDAの管轄下に入った

ジョンソン訴訟とともに、豊胸材訴訟の中心地はサンフランシスコからヒューストンに移った。ヒューストンのオクィン・ケレンスキー・マッカニッチ法律事務所に所属するジョン・オクィン(JohnOQuinn)は、この裁判で、最小から最大の成果を生み出す原告側弁護士として、たちまち評判を確立した。彼の戦術はジョンソンが病気かどうかの争点をずらし、その代わり、もしかすると彼女が病気になるかもしれないという不安に集中させるものだった。彼はまた、あらゆる機会をとらえて、陪審の関心をジョンソンから豊胸材を入れた全女性へとそらした。ある意味でジョンソンは豊胸材を入れた全女性の代理人であって、彼女達全員が豊胸材の恐怖を共有しているのだ、とオクィンは示唆した。そして彼は、この世にそんなものがあるとすればの話だが、〈確実に当たる予言〉であると保証した。豊胸材がFDAの管轄下に入った1976年にジョンソンは豊胸術を受けた。当時彼女は29歳だった。彼女の豊胸材はメディカル・エンジニアリング・コーポレーション(MedicalEngineeringCorporation)(MEC)が製造したもので、その会社はのちにブリストルマイヤーズ・スクィブの子会社となった。ジョンソンは豊胸材を入れてから健康に過ごしたようだったが、13年たってバストが硬くなったので、主治医の形成外科医、フィリップ・ローテンバーグ(PhilipRothenberg)の診察を受けた。彼は癩痕組織をバラバラにする目的で〈手術によらないカプセル除去〉を実施した。この手法で豊胸材が破れる危険性が高いことが知られているという警告文が、豊胸材の各パッケージに6年間挿入されていた事実にもかかわらず(その間、彼は多くの豊胸術を行い)、ジョンソンにはカプセル除去を行った。2、3日も経たないうちに、彼女の左のバストは膨れ上がり痛くなった。ローテンバーグは手術を行い、当然の結果ながら、左の豊胸材が破れていることを発見した。彼の裁判での証言によれば、惨みだしたシリコーングルをきれいに取り去ることがむずかしかったので、やむなく部分的乳房切除を行い、その後左右新しい豊胸材を入れた。やはりMEC製だった。彼女はバストの外観に不満で、別の形成外科医、ファビアン・ウアージング(FabianWorthing)を受診した。ウアージングは別のメーカー製のものと取り替えた。3年後の1992年(FDA禁止令の年)に、彼女は疲労とその他漠然とした症状を訴えて、ウアージングを再度受診した。その症状は他の医者達には豊胸材のせいだと言われたと彼女は言い、ウアージングは豊胸材を取り出した。
(参考)
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