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海外化粧品メーカーの進出

戦後日本における海外化粧品メーカーの進出は昭和二四年のマックスファクターが最初である。石鹸においては歴史が古く、明治一八年に英国リバーブラザーズ社が創業、サンライト石鹸を発売したのが最初とされている。昭和二八年にはヘレンカーチスが日本に進出し、三一年ベルゲール、三二年チーズプロポンズ、三三年ジョンソン&ジョンソンと相次いでいる。その後三五年は、政府閣議で「貿易為替自由化大綱」が決定され、「第二の黒船」と騒がれた年であり、海外化粧品メーカーの本格進出が始まる。同三五年にコルゲート、三六年キューテックス、三七年ブリストルマイヤーズと続く。三八年は世界の巨大メーカーといにわれたレブロンの上陸である。同じ制度品チャネルでの競争となるため、資生堂、カネボウ、コーセー他制度品各社は系列取引店における販売施策の強化など連携を深め対応した。とくにマックスファクターは同じ海外ブランドということから対消費者キャンペーンの積極展開を図った。同三八年はヘレナ・ルビンシュタイン、ロレアル、シュルトン、三九年タバック、メンネン、日本リーバ、コティーと続き、昭和四二年の第一次資本自由化を迎えた年、エスティ・ローダー日本支社が設立される。四三年はアメリカの巨大訪販外資メーカーのエイボンが日本支社を設立、四四年九月から東京都内を皮切りに営業を開始する。エイボンは東京都内二三区と都下を三〇〇世帯ずつに分割、訪問販売員の担当エリア設定を行い、訪問販売員同士による自社内競合を避け、責任を明確にした。エイボンの販売方法には、ある一定期間通常商品をディスカウントするキャンペーンセールスがあり、その販売手法をアメリカ本国他世界各地でとり、売上を伸ばしてきたメーカーであったが、日本では支社設置申請の際にそのキャンペーン手法は通産省から禁止されていた。従って販売手法は通常の定価販売方式で実施され、販売員と顧客の人間関係及び美容指導などの接客技術が中心となったのである。エイボン上陸時の販売手法が制限されたとしても、日本の化粧品メーカーにとってはその資本力、マーケティング力は脅威であり、ポーラ他同業の訪問販売メーカーは顧客との関係を深め対抗戦略を展開、また制度品各社は、キャンペーンや美容相談会の開催など積極的な販売店援助策を実施して対抗した。
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